この3月で上席学芸員を終え、4月から名誉学芸員となった高槻です。これからも麻布大学いのちの博物館のために微力を尽くす所存ですので、変わらずご支援、ご協力をお願いいたします。
さて、4月3日にC. W. ニコルさんが逝去されました。麻布大学はニコルさんの「アファンの森財団」と学術協力協定を結び、高槻が教授を務めていた時期、学生の卒業研究でアファンの森の動植物を調査しました。ニコルさんは私たちの調査を大変喜んでくださり、学生もニコルさんの前で発表するのを楽しみにして、調査を頑張ってくれました。
私たちはニコルさんを通じて、アファンの森の動植物に向き合い、多くのことを学ばせてもらいました。ニコルさんを偲びながら以下の文を書きました。
ニコルさん、安らかにお眠りください。
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ニコルさんが残してくれたメモ 高槻成紀
私は若い頃、東北大学におり、岩手県でシカの調査をしていた。増えすぎたシカによる農業被害で泣いておられる農家の方々の話を聞き、自分で森林の植物を調べて到達した結論は、シカは多すぎる、これは保護ではなく管理しなければならないというものだった。大事なのは個々の生き物ではなく、生き物のバランスだということである。
そんなとき、テレビでシカをテーマにした番組を作ると言う話があってニコルさんと出会った。ニコルさんはハンターでもあり、意気投合した。その番組のエンディングは「シカ追うもの森を見ず」だった。
しばらくご無沙汰していたが、機会があり再会し、話をしていたら、ニコルさんからアファンの森の動植物の調査をしてほしいという申し出があった。私は喜んでお引き受けし、学生の卒業論文として十人くらいの学生とアファンの森で調査することになった。
高槻とニコルさん(2010年9月、アファンの森で)
ニコルさんは関心の幅が広く、私とは動植物のことで話をしてくださったが、いつでもそれ以外のこと - 人や政治や歴史など - についても考えているのがわかった。彼は個別の動植物の名前を知っているという形の生き物好きではなかった。生き物好きには名前にこだわり、どれだけ識別できるかを自慢する人もいる。それも大事なことだが、そこにとどまってその生き物がどう生きているかには関心を示さない人もいる。ニコルさんは知識ではなく、観察眼が鋭い人で、私がアファンの森で観察したことを話すと、ちゃんと観察していて、話が深まるのだった。
私がアファンの森で調べたことは、例えばタヌキ、訪花昆虫、糞虫、ネズミなどありふれた動植物で、希少種や絶滅危惧種ではなかった。そして、そのありふれた生き物の生き方をリンク(つながり)という視点で記述したいと考えた。ニコルさんは若い頃、北極で動物の調査をした経験があるが、その時指導してくれた先生は「リンクこそが重要だ」と言っていたそうで、私のアプローチを大変喜んでくださった。
タヌキの食べ物を調べることは、「動物が生きることは食べることで他の動植物とつながっていること」、例えばタヌキが多肉果を食べればそれによって種子散布されることを知ることにつながる。動物は必ず食べ、必ず糞をする。糞は濃厚なタンパク質だから、当然これを利用する動物がいて、糞虫はその代表格だ。タヌキの糞にもさまざまな糞虫が来るが、調査ではイヌやウマの糞を使って比較した。これもタヌキと他の生き物のリンクであり、糞虫が糞を分解することで糞の成分は土に還り、植物の栄養になる。
訪花昆虫はもちろん花と虫のリンクで、私たちは具体的にはアファンの森と隣接する国有林のスギ林の比較をした。そうしたら、適度に間伐(間引き)をしたアファンの森ではさまざまな花にさまざまな昆虫が訪れていたが、スギ林ではまったく見られなかった。「雑木林は人が手を入れるから多様な生き物が暮らせるんだ」というニコルさんの考えを生き物が実証してくれているようだった。
ネズミの調査も森林ごとに違いがあったが、リンクの視点で行なった調査ではネズミの死体を餌にしたトラップ(罠)を置くと、死体分解をする昆虫がたくさんいることがわかった。
こうしてありふれた動植物でも調べれば実に興味深いリンクを保ちつつ生きており、一つの生き物がいることが他の命を支えていること、鼻つまみ者である糞や死体に来る昆虫は分解という生態系の重要なリンクの役割を担っていること、そうしたリンクは森林の管理のあり方に大きな影響を受けていることがわかった。学生がそういう調査結果を発表をするとき、ニコルさんはノートを取りながら真剣に聞いていた。そしてうら若い女子学生が「マグソコガネがたくさん採れました」などと話すのを嬉しそうに聞いていた。そして「ウンコは大事なんだよ」と言っていた。
卒論発表の後で(2012年3月、アファンの森のセンターで)
ある年の発表会の後に腕を振るって準備したシカ肉料理をいただいた。その時の発表が特に嬉しかったみたいで、別れ際に「タカ、いい仕事をしてくれて、ありがとう」と言いながら、あの大きな体で私をハグしてくれた。いや、「してくれた」という感覚は私にはなく、こういうことに慣れない日本の男としてはどうしていいかわからないで困ったのだった。そのとき、大きなお腹が意外と硬かったのが印象に残っている。
私が大学で指導した最後の年の卒論発表のとき、ニコルさんは南極の氷で割ったお気に入りのウィスキーを飲みながら色々話をしてくれた。ちょっとわからなかったので、質問したら、私のノートにサラサラと書いてくれた。そこには
Reformation 改革
Information 情報
Inspiration 閃き
この3つは韻を踏んでいるから選んだのだろうが、「最近、この3つが大事だと思っている」と言っていた。私はちょっと意外な感じがした。
Reformationは日本でもリフォームとして家の改装などでは日本語化しているが、これまであるものをより良いものに変えるということだろう。Informationは情報で、正しい情報に基づいて考えなければならないということで、ニコルさんの科学的な態度は情報を尊重するところから来ていると思う。ただ、すでに述べたとおり、私は、ニコルさんがただの知識の集積を重視しているとは思わない。彼のすごいところは、そういう知識を統合する力にあると思う。動物の話をしていても、子供の話につながったり、アファンの話をしていてもエチオピアの話に飛んだりし、そこに納得のいくつながりがあるのだった。Inspirationは「閃き」だが、日本語では自分の内側から出てくるというニュアンスだが、inspireは他動詞で、「ひらめかせる」「刺激する」ということで、inspirationは何かに刺激を受けて発想するということである。
これら3つの言葉は私がニコルさんから感じる歴史や伝統を「守る」ことを重んじる姿勢とは違うので意外感があったのだが、私の感じ方は表層的なことなのではないかと思い直した。
ニコルさんはいつでも本質的なものを捉えたいと思っている人だった。しかしそれを頭の中の哲学にとどめることはせず、行動によって具現する人だった。日本の森が荒れていることを批判的に発言し、それが効を奏さないと判断すると、自分で森づくりをした。東日本大震災の時、すでに高齢になっていたが、被災した地域の子供達のためにアファンの森の体験を生かして助けてほしいという声に応えて、それまでのアファンの森での体験を、「このためにしてきたこと」と位置づけ直し、実際に「森の学校」の実現を果たした。
もちろん様々な困難があり、壁にぶつかることもあったであろうが、全体としては明るく、楽しく、気持ちよく行動した。そしていつでも「ありがとう」と言った。それは一人ではできないことを支えた人がいることを深く理解してのことだった。実際、ニコルさんの考えや活動に賛同し、支えたいと思う人に恵まれてもいた。周囲をそうさせる人徳のある人だった。
口で言うだけでなく実行するには伝統を重んじるだけでは十分ではなかったであろう。普遍的なものを残すためには、正しい情報を保ち(information)、それを柔らかい感覚で捉え(inspiration)、常に「これでいいか」と問い続け、必要とあらば大胆に見直す(reformation)ことが必要だと思っていたのではないか。
ニコルさんの優しい笑顔を思い出しながら、このメモを大切にしたいと思った。
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