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いのちの博物館だより

2020.09.03

『獣医学概論(獣医学科1年)』のレポート【2】 名誉学芸員 高槻成紀

私(高槻)は獣医学科の新入生の講義として「獣医学概論」の分担をしています。今年はコロナ禍のために通常の講義はせず、資料を読んでもらって感想を書いてもらいました。149のレポートの中からよく書かれたもの19を厳選して紹介します。入学したのにまだ大学に来ることができない新入生のみなさんには同情を禁じえませんが、大学の歴史を伝えたことが前向きの気持ちに役立ったようです。

【11~19】
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高槻先生の講義を終えて高槻先生のことを調べさせていただいたところ、多くの著書を出されていることを知り、読んでみようと思った。また、いのちの博物館の設立にも非常に尽力された先生だということで興味深くお話を拝読した。
私はオープンキャンパスの際に一度だけいのちの博物館に行ったことがあるが、どの標本もとても美しく面白かったという印象が残っている。特にハンズオンコーナーで実際に骨に触ったことが印象深かった。これは設立時の高槻先生の興味を持つための工夫が現在にもつながっているのだなと感じている。特に、お話の中で出てきた「ロードキル展」は聞いているだけでもとても興味深いと思った。実際に見に行きたかったと思った。ロードキルといえば、動物が死んでいる光景が浮かび、あまり出くわしたくないものというイメージであるが、あえてそのテーマを選び標本としてみるとかわいそうという感想だけでなく、犠牲になった野生動物の多さを改めて知ることができるのがすごいと思った。そして、そのような工夫が詰まった展示がいのちの博物館に生かされたのだと思った。設立までは限られた時間しかなく、想像を絶するハードスケジュールだったと思う。そんな中でも、標本に適したディスプレイを考え、読む人の心に響く文章を考え、手を抜かない姿勢がとてもかっこいいと思った。このような先生や寄付をしてくださった卒業生の方々など多くの恵まれ人や環境に囲まれて獣医学を学べることに感謝してこれから6年間過ごしていきたいと思った。

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この資料を読んで、ものは使い方によるんだ、ということを改めて感じた。そして、どのようなものにもなにかしらの役割はあり、世の中にいらないものなどないのではないかと思う。例えば、自分にとっては必要ないものでも他の人には必要なものかもしれない。自分にとっては単なるゴミであるかもしれないが、他の生き物にとっては必要不可欠なものであるかもしれない。そんなことを考えながら部屋の中を見渡してみると小さなことに気づき、世界が少し広がる。今まさに、小さな蜘蛛を見かけた。いつもは捕まえて逃がすのだか、ダニとかを食べてくれることを思い出し、そのまま見逃してみた。親はゴキブリなどを見ると殺しにかかるが、私は一生懸命生きてるのだからなるべく逃がすようにしている。それで救われる命があるならいいことなのだろう、と自己満足している。この資料にあるように、同じ命でも、「いのち」、「命」、「イノチ」、「イノチ」とそれぞれ印象が違う。つまり、同じものでも見方によってはいいものにもなるし、悪いものにもなる。誰かにとっては損だが、他の誰かにとっては得なものなのかもしれない。どちらにせよ、広い視野で物事を捉えていかなくてはいけないと感じた。
また、資料の後半を読んで、他人のために一生懸命になれる人というのは本当にかっこいいと思った。人は大抵結局は自分が一番である。自分に利益がないと他人のために何かをするわけがない、という考えであろう。他人のことを思いやれる人というのはどのような人なのだろう。私は、心に余裕のある人だと考えている。心に余裕がなければ他人に構うことすらできないであろう。だから、私も辛いことがあっても「想定内だ。」という気持ちでいこうと思う。他人を思いやることができるというのは素晴らしいことだと思う。

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私は高校生だったころから骨格標本製作や羽標本製作、ホルマリン固定や本はく製、時にはプラスティネーションなどを製作してきた。そのほとんどがロードキルやストランディングからくるものである。体の一部が欠損しているものや原型をとどめていない個体も多い。しかし、私はそういった個体からの標本製作の大切さを身をもって体感している。イタチのロードキル死体は手に入りやすく、何体も同じような骨格標本を制作しているが、「もうこれ以上は必要ない」と製作の手を止めることはない。もちろん収蔵庫や冷凍庫の容量を考慮する必要はあるが、一体いるから十分とはならない。一見同じつくりの骨でも、年齢の差や生活域の差、病変などから微妙に異なっている。と動物の形態や生態を探る研究テーマを持つ人にとっては同種の同状態の標本がいくつもあることは大変ありがたいことである。むやみに動物を捕まえてこなくてよくなるし、殺さなくてもよくなる。また、日付や採取地点を記録し、意図的な廃棄なく保存し続けることを何年も積み重ねることでこれまでわからなかったことが分かるようになってくる。私の慕う先生(獣医師)は「人は死んでも博物館はなくならない。100年先や200年先でわからなかったことをわかるようにするため」と話していた。また、たとえ一体しか標本が無くても、その場所にその生物が生息していたなど何らかの理由でそこにたどり着いたという明確な証拠になる。ナガスクジラやヒメウミガメはその例であった。そして解剖手である私にとっても動物の体のつくりや衛生管理を学ぶ大変よい機会であると考える。私はまだ一年生で病気の勉強は行っていないが何体も見ているうちに'異変'に気づきやすくなる。この個体は内臓が大きかったり、骨に通常はない突起がみられたりするのだ。獣医になるにあたっての糧になると信じている。また一般向けであっても展示方法によってロードキルという現象に興味を持ってもらったり、胃の内容物に含まれるプラスチックから環境問題へと配慮してもらうきっかけにすることができる。本学に「いのち」の学びとなる博物館があるのは私にとって大変喜ばしい。大学に登校できるようになれば足を運んでみたいと思う。

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私は「麻布大学いのちの博物館」に2年前のオープンキャンパスで行ったことがあり、とても楽しかったと同時に本当の博物館みたいだなあと驚いたことが印象残っています。イノシシや豚、回虫など様々な動物種が展示されており、一つ一つの展示物に麻布学生の方が楽しそうに丁寧に説明されていました。どこに目をやっても面白い展示しかなく、非常に完成度の高い博物館であることは当時の私でもわかり、麻布大学を志望する一つの理由にもなりました。
一方で、2年前の私は生き物の剥製や骨格などしか見ておらず、さほど麻布大学の歴史に関する展示物に興味がなく、あまり見ていませんでした。しかし今回、高槻先生の講義の資料を読み、麻布大学が今に至るまでの歴史、昔の麻布生の方々の母校に対する愛にとても感動し、現在大学に通っている私の「大学」に対する考え方を改めて見つめ直すことができました。
東京大空襲によって自分の母校が焼かれてしまった時、母校の残骸を目の前にした学生たちの気持ちは計り知れないだろうと思いました。また、それと同時に、教科書も校舎もないまま場所を転々としながらも学び続けていたという文章を読み、当時の人々にとって大学で好きなことを学べるということが、どれだけありがたいことであったのかということも痛感しました。
今現在において、「大学を出ている」という既成事実が欲しいがために、「どこでもいいから適当に大学に通えばいいや」と考える人も少なくない世の中になりつつあります。そのため、大学の価値や何のための大学かを考えたことのない人が多いです。私の場合は、獣医師になるための手段として、また生き物について学びたいという目的を持って大学に通っていますが、本来の「大学」とは何をする場所なのかを突き詰めて考えたことがありませんでした。
「当時の麻布生が、新たな麻布大学の校舎を建てるためにお金を出し合い、そしてその返金を断った」という内容を読んだ時、現代の大学生とは「大学」に対する考え方が決定的に違うなと感じました。今ほど国が豊でなかった昔の人々だからこそ、好きなことを学べるありがたみや、大学の存在価値を真に理解していたんだと思います。今回の講義を終えて、大学とは自分が将来なりたいもの、興味があること、知りたいこと、そういったことを自分で選んで直に触れて知れる場所だと考えました。
学校が再開し9月22日以降になったら、「麻布大学いのちの博物館」へ訪れて、2年前の私が見なかった「麻布大学の歴史」をしっかりと見て、当時の麻布生の母校に対する愛、心情を感じ取りたいと思いました。

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「展示にはメッセージ、つまりその標本によって何を伝えるかが必要である」これは授業の中で記述されていた言葉だ。私はこの言葉に感銘を受けた。無秩序に展示されているだけでは何も伝わらない。私は『ロードキル展』について興味を持った。私はロードキルの現場に何度も遭遇したことがある。雨の中でロードキルされたタヌキの死骸に遭遇したとき、とても悲しい気持ちになった経験がある。害獣と呼ばれるタヌキにも『いのち』がある。野生動物との関わりについて見直す必要があると考えさせられた体験だった。
私は二回広島の平和資料館を訪れたことがある。広島の原爆について本や記事で読むことが多く、わかっていたつもりになっていた。しかし、実際に足を運んで遺品や実際の写真を見ることで、文字では伝わらない衝撃を受けた。動物は人間生活と密接に関与し、良い影響も悪い影響も受けてきた。絵本『かわいそうなぞう』にもあるように戦時下において殺処分または餓死した動物は多い。また、戦力として動員された動物もいた。私は戦争と動物の関わりについて発信していきたい。そして多頭飼育や放棄という問題が増加する今日、動物を飼っているかどうかに関わらず一人ひとりに、『いのち』について考えてもらいたい。
長い歴史をもち、先人の努力の詰まった麻布大学で学べることを感謝しながら、獣医学に身を捧げることを決めた。少しでも獣医学に貢献できるように今は勉学に没頭したい。また、授業を受けるまで、麻布大学いのちの博物館について私は名前と存在は知っていたが何が展示されているか、どのような経緯で創立されたのかは知らなかった。コロナ窩が終わったら麻布大学いのちの博物館に新しい仲間と足を運びたい。

16
私は今、愛媛県今治市からこの文章を書いている。新型コロナの影響で、大学へはまだ一度も通学できておらず、残念なことに「いのちの博物館」の展示物をまだ見ていない。「動物の手足展」「ロードキル展」はじめ、先生が本学に来られてから企画された展示物を、可能ならばすべて見てみたかったと思った。展示のテーマを決め、展示物を集め、展示方法を考え、展示の解説文や図を用意する。専門外の内容は、情報仕込みから始める。一つの展示が完成するまでには、気の遠くなるような思索や作業があることを改めて知った。「展示にはメッセージ、つまりその標本によって何を伝えるかが必要」という先生の言葉は、そのまま先生の熱意となり展示内容に反映され、訪れた人に伝わっているに違いない。それは、「いのちの博物館だより」に掲載されている来訪者の数々の感想 からもわかる。「いのちの博物館だより」の、昨年12月4日の「モモンガ・マント」の記事はとても楽しく読ませていただいた 。淵野辺小学校の4年生が来館した際の記録だが、手作りの「モモンガ・マント」を始め、話の導入からその展開まで、子供たちがいかに興味を持ってもらい、いかに理解できるように伝えるか、細かい部分までとても工夫されていた。話を聞く側の人の立場で考えてこそ、初めてできることだと思った。そして「タヌキ」である。私は、今回の講義資料を読んで、先生が、交通事故で亡くなったタヌキについて調べていたことを初めて知った。タヌキの交通事故に関しては、私もこの近年、国道沿いで目撃するようになっていたので、気にかかっていたことだった。今年の春はもう卒業して、自宅にいたので様子がわからなかったが、母からは「今日もタヌキが轢かれていた。」と何度か報告を受けた。改めて聞いたところ、今年も春先に、5回位は事故にあったタヌキを目撃したということだった。この辺りは、国道を渡ればすぐ海という地形である。「夜に国道に出てきて、横断しようとして事故にあったのだろうか?」「タヌキは、何のためにわざわざ国道まで出てきているのだろう?」と、色々疑問に思っていた。先生の書かれた論文にタヌキについてのものがあるだろうかと思い、探していたところ、先生のブログにたどり着いた。そこで、タヌキの糞を分析して食性を探るという手法があることを知った。さらには、その分析結果の中に、同じ愛媛県でのサンプルがあった。愛媛県八幡浜市と今治市とはずいぶん離れているが、ミカンの産地で海が近いという点は同じである。その分析結果を見ると、「タヌキがミカンを食べること。5月は人工物を食べてしまうくらい木の実や昆虫が少ないこと。6月になると内容に変化が出ること。そして、タヌキは魚やカニも食べること。」を知った。今年、この辺りで交通事故にあったタヌキをよく見かけたのは、6月のはじめ位だったそうだ。「この近辺では、6月になってもまだ餌は少ないのだろうか。タヌキが国道に出てきたのは、カニや魚など海岸で採れるエサを探してのことではないだろうか。もっと単純な理由が、あるのかもしれない。」などと、いろいろ考えた。食性は、環境により変わってくるだろう。おそらく、このエリアのタ ヌキの糞を採取して分析してみないと、国道へ出てきた理由もはっきりしないのかなとも思った。私は、タヌキのため糞場というものの存在も初めて知った。フィールドに出て資料を収集し分析する。たくさんの事実を集めて、初めて分析という作業に移り、その結果から考察を行う。野生動物の保護といわれるが、タヌキ一つとってみても、住んでいる地域や環境はさまざまで、その生態がわからない部分もあるだろう。今治市近辺に、タヌキがどれくらい生息しているか、おそらくその様なデータは、存在していないのではなかろうか。野生動物の目撃情報など、だれもが報告できる仕組みがあれば、データも収集でき生息状況などもっと把握しやすくなるのではないかとも思った。講義内容とは、ずいぶん離れてしまった。
最後に、「いのちの博物館だより」に掲載されている、先生の「ニコルさんが残してくれたメモ」の締めの一文が、これからの人生の指針にもなると思ったので、引用させていただきたい。「普遍的なものを残すためには、正しい情報を保ち(information)、それを柔らかい感覚で捉え(inspiration)、常に『これでいいか』と問い続け、必要とあらば大胆に見直す(reformation)ことが必要だと思っていたのではないか」これらのことはどれも実際にやろうと思えば、なかなか難しいだろう。ただ、迷ったとき、行き詰っているとき、決断が必要な時、自分に「information, inspiration, reformation」と問いかけてみると、次の一歩を踏み出すために考えるヒントを与えてくれそうな気がする。
先生やニコルさんはじめ、戦後、寄付をして本校を再建してくださった先輩方など、人生の先輩方が、大切なものをたくさん残してくださっている。それを自分の糧にできるかどうかは、これからの自分次第なのだろう。心引き締めて、かつ楽しく、麻布の学生としての自負と自信をもってこれからの学園生活に臨みたいと思う。

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高槻先生の講義を受け、私が受験生時代、オープンキャンパスで訪れたあの、いのちの博物館の設立にはそんな秘話があり、情熱を込めて作られた大切な博物館なのだと知ることが出来、とても感動した。受験生時代、博物館に行くと、たくさんの学生がおり、一つ一つの標本を丁寧に説明してくださったことを覚えている。その当時は、それほど学生に愛された博物館なのだなと思い、いつかは、自分がこれらの標本を説明する側になりたいと強く思った。また、コンセプトを加えるだけで、標本とはこんなにもメッセージ性が強くなるということを今回の講義で知ることができた。ただ、標本を並べるだけでなく、そこにコンセプトがあるだけで、見る人により大きなインパクトを与える。このような工夫は、高槻先生の動物に対する愛と、それを人間に伝えたいという情熱から生まれたものなのだと感じた。
また、今回、麻布大学には中村道三郎先生という存在が大きく関係しているということを知ることができた。このような先人の大学に対する愛のお陰で、今、こうして麻布大学の学生として獣医師を目指していることに誇りを持ち、今後も勉学に励みたいと思う。

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麻布大学いのちの博物館の標本が、来館者にメッセージを伝えることを主眼に展示されているという話をみて、すごくおもしろいなと思いました。なぜならば、何かを学ぼうという能動的な姿勢でやってくる来館者と違い、たまたまふらりと立ち寄った来館者にも、展示物によってなにかを訴えかけるというのはとても困難なことだと身をもって体感したからです。私は岐阜県に住んでいます。この遠隔授業期間中に、特に用もなく県立の博物館に行ってきました。県立博物館に行ったのは今年に入って二度目ですが、獣医学、とりわけ獣医解剖学を学ぶ前と後とでは、展示から感じ取るものが全くちがうように思えました。以前は、ぼーっと館内を見て回っていたのですが、今回はまず、博物館内のあらゆる動物の骨格標本、模型の首の骨の数が気になって、数えてはほかと比べて回りました。すると、人生で一度も興味をもったことがなかっ た恐竜コーナーへ、骨を数えに足を踏み入れてみようという気持ちが湧きました。そしてそこで、恐竜の骨が哺乳類などとは全く違うことを学び(やはり鳥類に似ていました)、初めて生物の進化に感動を覚えました。
私は博物館より美術館のほうが好きな人間でした。なぜなら、私にとって絵や彫刻は「おもしろいな!」と思うことが直接頭に入ってくる感じがするからです。しかし、県立博物館で、美術館とは少し違う、学んで気づきを得るというおもしろさを感じて、博物館のことも好きになりました。ただ、それと同時に、博物館の展示物はおもしろさを訴えかけることが難しいとも思いました。
今、私は麻布大学いのちの博物館を訪れてみたいと強く思っています。私は今まで県立博物館しか行ったことがなかったので、県立博物館と比べて、どんな展示がどのように工夫して並べられているのか。そして、いのちの博物館の展示から私はどんなメッセージを受け取ることができるのか。実際に自分で見てみたいと思いました。
また、麻布大学の歴史についても興味が湧きました。先輩方の支援がなければ、麻布大学は焼けてなくなっていたとおもうと、今後6年間、しっかり勉強しようと身が引き締まる気持ちになります。
今回の講義を受けて、まだ大学へ行けない日々が続きますが、麻布大学生として勉学に励もうと思いました。

19
麻布大学いのちの博物館は実は行ったことがなかったので、今回の講義を視聴して、コロナ自粛生活から解放された暁にはぜひ行ってみたいと強く思いました。開館前の4月から9月までの短期間の間に展示品の配置や説明について準備されるというのは本当に考えただけでも大変なことで、高槻先生がいまも大活躍されているご様子に素晴らしいことと思いました。最近のエッセーのもぐらの標本も大変美しいものであり、まるで熊手のような、もぐらの大きな立派な手には本当におどろきました。この手だから土の中をどんどん掘っていけるのだと納得しましたし、鋭い歯にもおとなしそうな容貌と異なって意外性を感じました。エッセーの中の、亡くなられたC.W.二コルさんと先生のツーショットをみても、自然を心底愛し、高度な研究をされている方同士の、またその才能を社会に還元されている方同士の通じあう雰囲気を感じとりました。現状のようなコロナ自粛の異常事態になって、全てオンライン化し、博物館に行って本物の標本を見たり触ったりすることができないのは残念ですが、やはり画像ではなく、実際のものを見たり触ったりすることは今後も変わらず重要であると思うので、今後も博物館の存在は引き続き重要なのだと思います。今までの来館者の感想を読んでも皆様博物館で有意義な時間を過ごして、非常に楽しまれたことを感じ取り、素晴らしい博物館だと思いました。今回の講義を視聴して、戦後、多くの卒業生の方々のご厚意で麻布大学が再建されたことをしり、感動しました。そのような多くの方々のご努力のうえで、私自身通うことが可能になっていることを心にとどめ、またその再建に努力された先輩方と同様、麻布大学を愛し、誇りを持てる卒業生になれたら、どんなに素晴らしいことかと思いました。

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